私はかつて、生活保護受給者に対するスティグマ(偏見)のあまりのひどさに、受給者自身が団結して改善を訴えるべきだと考えたことがあります。しかし、それは根本的に不可能だと気づきました。なぜなら、生活保護受給者は流動的な存在であり、団結し続けることが困難だからです。
今回の記事では、なぜ生活保護受給者が団結すること、その社会的地位を向上させることが不可能に近いのか、私見を述べたいと思います。
生活保護の「流動性」と団結の難しさ
「生活保護を受ける人」は固定されたグループではありません。固定とはどういうことか。人間がもつ特性には「男性か、女性か」「白人か、黒人か」といったような、終生変わることがない固定的な特性がありますが、「生活保護受給者である」という状態はそれらとは根本的に異なるということです。
誰かが生活保護を受給し、そして抜け出していく。そのサイクルが常に回っています。「ある個人が生活保護を抜け出すこと」は、社会的にも道徳的にも、そして資本主義の仕組みの上でも常に肯定されるべき選択だと認識されます。
たとえば、労働組合であれば、会社に所属し続ける限り、組合員としての利害関係が維持されるため、そのメンバーには団結の基盤が生まれます。しかし、生活保護の場合、受給を続けることが推奨されることはなく、むしろ「抜け出すこと」が最大の目標とされます。誰も「受給者であり続けること」を誇りには思いません。こうした構造の中では、団結が自然に崩れてしまいます。
また、これは私個人の思想ですが「人は、より良く生きることを志向する」と私は信じています。その観点から見ても、「受給者であり続けること」は本質的に矛盾を抱えています。
「生活保護はあくまでも一時的な支援であり、誰もがそこから抜け出すことを目指すもの」とされています。法で明文化されていなくても、事実上・社会通念上はそうなっています。そうした中で、「受給者の団結」を維持しようとするのは不自然であり、継続するのは難しいという現実があります。
こうした矛盾を克服せんと無理矢理に団結させようとするならば、かつて存在した極左グループや、一部の悪質な貧困ビジネスのように、社会と隔絶された人里離れた環境で共同生活をし、抜け駆けや裏切りは私刑をもって罰する。そんな個人の自由や権利を侵害するやり方でしか団結は維持できないのではないでしょうか。私は個人的には、そんな社会はごめんこうむりたい、きっぱりと否定したいと思います。
さておき、団結できないマイノリティが、差別の対象となり、社会の中で極めて困難な立場に置かれることは、人間の歴史が証明しています。それがそのまま現代日本における生活保護へのスティグマとして再現されているのです。
生活保護を巡るスティグマの強化
生活保護の受給者が減ることは、国・社会・当事者のすべてにとって「良いこと」と見なされます。しかし、この流れの中で問題となるのが、受給者へのスティグマ(偏見・差別)がより強化される可能性があるということです。
もし、ベーシックインカムが導入されれば、多くの人が生活保護を必要としなくなるでしょう。結果として、生活保護制度は「より困窮した一部の人」だけが利用するものとなり、その少数派に対する社会の目は今以上に厳しくなる可能性があります。
たとえば、
- 「ベーシックインカムがあるのに、まだ生活保護を受けるのか?」
- 「ベーシックインカムでお金をもらっても自立できないのは怠けているからじゃないか?」
といった偏見が強まることが予想されるということです。
そもそも、生活保護受給者がスティグマに苦しむのは、「働かずに税金で暮らしている」という誤解が広まっているからです。しかし、多くの受給者は、障害や病気、家庭の事情など、さまざまな理由で就労が難しい状況にあります。それでも社会は、「努力が足りない」「怠けている」と決めつけ、スティグマを刻みつけているのです。
こうしたスティグマを克服し、より公平な社会を実現するためには、「誰もが無条件で受け取れる仕組み」つまりベーシックインカムを導入することが最も有効な方法だと私は考えるようになりました。
生活保護制度の改革ではなく、BIの実現へ
「生活保護受給者の社会的地位を向上させる」という理想は、現実的には達成が難しいものです。ほとんど不可能と言ってもいい。
なぜなら、生活保護は「最後のセーフティネット」であり続ける限り、その制度に頼る人は少数派(マイノリティ)であり続け、常に社会の批判の対象、大衆の不満のガス抜きのターゲットとなるからです。そして、前述したように、受給者自身が団結することもほとんど不可能です。
では、どうすればよいのか?
答えはシンプルです。「生活保護を受ける人」と「受けない人」という線引きをなくせばよいのです。そのためにこそ、私はベーシックインカムの実現を目指すべきだと考えました。
ベーシックインカムは、「必要な人だけが受けるもの」ではなく、「すべての人が受け取るもの」です。そのため、生活保護のようなスティグマが発生しにくい。そして、ベーシックインカムの支給額が一定の生活基盤を支えられるレベルになれば、現在の生活保護受給者の多くがベーシックインカムで生活できるようになるでしょう。
課題:BI導入後も生活保護受給者へのスティグマは残る
すでに述べてきたように私の提言は「生活保護のスティグマは深刻で、かつ解消は難しいから、その打開策としてベーシックインカムを導入するべき」です。しかし、それとは別に「ベーシックインカムを導入したら、生活保護は廃止してもよいか?」については十分に議論すべきだと考えます。
とりわけ、知的なハンディキャップがあるなどの背景から、お金の管理が難しい人にとっては、ベーシックインカムでお金を配るだけでは十分ではないという指摘もあります。たとえば、
- 通院のためのタクシー代支給
- 水道料金やNHK受信料の減免
- 生活費とは別枠の家賃補助
- 就労支援
といった、別個に支援する仕組みが必要だという意見です。
ベーシックインカムを導入することで、こうした能力に課題を抱えていない人々はスティグマから解放されるはずですが、そうではない人々のために生活保護制度も残すということになれば、生活保護受給者へのスティグマは残り続けるでしょう。
ベーシックインカムの導入がゴールではなく、その後も、この問題について考え続けていく必要があると考えます。
おわりに:BIは「貧困者支援」ではなく「すべての人の権利」
私はかつて、「生活保護受給者は団結し、社会的イメージの改善を社会に訴えるべきだ」と考えていました。しかし、受給者の流動性や社会構造を考えたとき、それは不可能に近いことを理解しました。
その代わりに、私はベーシックインカムの実現に目を向けました。生活保護受給者のスティグマを改善することを目的として議論するよりも、すべての人に無条件でベーシックインカムを支給することで、「貧困者支援」ではなく「すべての人の権利」として経済的基盤を確保すべきという考えに至りました。
私はこれからもベーシックインカムの実現を訴え続けます。
最後までお読みいただきありがとうございました。