SNSをはじめとしたネット界隈においては、昨今、「高齢者を排除せよ」という趣旨の発言が散見されます。そうした主張の中には、「若者が高齢者に搾取されている」「頑張っている現役世代が高齢者に搾り取られる社会は間違いだ」といった比較的穏当な主張のみならず、「高齢者を安楽死させよ」「高齢者を殺せ」といった、極めて過激な主張も存在します。
今回の記事では、こうした過激な言論がなぜ生まれてしまうのか、そしてそれが社会にどのような影響を与えるのか。この問題について私なりの考察を述べたいと思います。
高齢者を一方的な被害者とするのは間違い
私は、この問題を可能な限り公平な立場で考察するという立場を取ります。
まず前提として、この問題を考える上で重要なのは、「高齢者を単なる被害者として捉えることは誤りである」という点です。
高齢者を排除しようとする言論の背景には、間違いなく、現役世代が抱える経済的・社会的な不満が存在しています。年金制度や医療・介護負担の問題、あるいは日本の文化に甘えて高齢者の一部が若者を見下すような態度を取ることなど、若年層が感じる理不尽は決して無視できるものではありません。
しかしもちろん、「高齢者はすべて悪」「高齢者は搾取者である」といった単純な図式に落とし込んでしまうこともまた、問題の本質を見誤ることになります。
高齢者にも様々な立場の人がいます。生涯を通じて社会貢献してきた人もいれば、若い世代のために知識や経験を惜しみなく提供する人もいる。高齢者を「加害者」あるいは「被害者」と一括りにし、ステレオタイプで論じること自体が、社会の分断を助長してしまうと私は考えます。
原因の一つとして「リスペクトのルール化」がある
では、なぜここまで高齢者に対する反発が強まっているのでしょうか。その背景の一つとして、私は「リスペクトのルール化」があると考えます。
本来、敬意(リスペクト)とは、相手の人格や行動に基づいて自然に生じるものであり、強制されるものではありません。しかし、日本社会においては「年長者を敬うこと」が文化的な、命文化されないルールとして根付いており、しばしば無条件に適用されてきました。それには若年層を無分別に抑圧する側面があることは否めません。
「年長者なのだから、無条件に敬われるべき」という考え方が主導され、社会の中でルールとして機能すると、それは個人が守るべき道徳の範囲を超え、特権となります。
一部の高齢者がその特権的立場に甘え、尊敬を得るための自己研鑽を怠り、謙虚さを捨て去ってしまった経緯があることは否定できません。人間とは、極めて弱く、不完全なものですので、特権を与えられるとそれに甘えてしまうことは珍しくないのです。
高齢者の側が「俺は高齢者だから偉い」「若者は無条件で年長者に従うべき」といった態度をあらわにし、さらにそれをルールとして押し付けられれば、当然ながら若年層は反発します。
特に、現在の若い世代は個人主義が浸透しており、かつ実力主義の価値観を重視する傾向があります。そのため「年齢ではなく、努力や実績に基づいて評価されるべき」と考える人が多い。したがい、「ただ年齢が上なだけで敬われるのはおかしい」と感じ、高齢者に対する反発が強まっていくという側面があるのです。
また、一部の高齢者が自らの立場を利用し、自己の弱いエゴを満たすために若者に対してマウンティングを取るような態度を示すことも、不満を助長する要因になっています。「こっちは長く生きて社会に貢献してきたんだから、お前らは黙って従え」といった姿勢では、世代間の対立が深まるのは当然でしょう。
敬意は相互的なものであるべき
では、どうすればこうした世代間の対立を和らげることができるのでしょうか。
私は、敬意というものは本来、相互的なものであるべきだと考えます。つまり、年齢に関係なく、誰もが他者に対して敬意を持ち、同時に敬意を受ける権利を持つべきなのです。
「高齢者だから敬うべき」というルールを一方的に押し付けるのではなく、「敬われるに値する振る舞いをすること」が大切なのではないでしょうか。逆に、若い世代も「高齢者はすべて悪」という短絡的な考えに陥るのではなく、高齢者の中にも尊敬に値する人がいることを認識する必要があります。
おわりに
「高齢者を排除せよ」という過激な主張が生まれる背景には、社会全体の構造的な問題が横たわっています。その一因として、「敬意のルール化」が世代間の確執を生み、反発を助長していることは否めません。
世代間の対立を煽ることは、最終的には社会全体にとって不利益をもたらします。私たちが目指すべきは、単純な「高齢者 vs 若者」という構図ではなく、「相互尊重のある社会」です。
敬意とは、自然に生まれるものであり、強制されるものではありません。それを一方的に押し付けるのではなく、年齢に関係なく、互いに尊重し合える関係を築いていくことが、より健全な社会を実現する鍵となるのではないでしょうか。
最後までお読み頂きありがとうございました。