教員のなり手不足が深刻だそうです。

私は1970年代生まれなんですが、いつごろまでかは明確に知りませんが、かつての時代ではこんな風潮が一般的に存在していたと感じています。
「お前には会社勤めは務まらない。だから教師にでもなれ」
いわば、社会不適合者の受け皿として教職が存在していたんですよね。
小学生時代や中学生時代などを思い起こしてみると、まあとんでもない先生がたくさんいましたね。
まだ体罰が当たり前に行われていた時代でしたし、今なら大々的に報じられて大バッシングを受けるような、問題行動・奇っ怪な行動をする先生というのがたくさんいるのが教師の世界でした。それはとうてい、教師以外の職業は務まらないだろうなあ、と思わせるもので、まさに社会不適合者といえるものでした。
現代の教師がさらされているプレッシャー
教員採用試験の厳格化
教員免許を取得した後、採用試験を通過する必要があります。この試験では、筆記試験や面接のほか、模擬授業や実技試験が行われることが一般的です。特に面接や模擬授業では、教育に対する姿勢や人間性が重視される傾向があります。
研修や人格面の評価
採用後も、新任教師には多くの研修が課され、教育現場での適応能力や人間関係の構築能力が問われます。また、教育委員会や学校側が教員の人格面やコミュニケーション能力を重視する傾向も強まっています。
社会からの監視と批判
教師の不適切な行動や不祥事に対して、保護者やメディアの目が厳しくなっています。このため、人格面で問題のある人が教師として長く勤めることは難しくなっていると言えます。
体罰は絶対に許されることではない
私は、いかなる理由があれども教師による生徒への体罰には反対です。
これは何もポリコレ的配慮からそう言っているのではありません。
私は小学生の頃、同級生のみならず教師からもいじめを受けた経験を持つものです。その立場から主張しています。
ですが、現代の日本の教職が社会不適合者、人格に問題がある人を排除する傾向にあるとすると、
その人達はいったいどこに行くのでしょう?
私が過去に見てきた「一般の社会では到底、やっていけないであろう社会不適合者」。
しかし、今思い返してみると、そうした人たちの中にも、非常に示唆に富んだ、よいことを言っていた人たちもいたこともまた事実なのです。
正しさと豊かさ
社会不適合者や、人格に問題がある個人を教職から排除することは、おそらく「正しさ」は担保される。しかし、社会の「豊かさ」の観点から見たら、どうでしょう?
難しい問題です。
これが、私が注目しているYouTubeチャンネルである「ベーシックインカムちゃんねる」さんが取り上げている「社会の豊かさ」なのかもしれない。
最後までお読み頂きありがとうございました。