日本人には身分制度が合っている。万民平等はなじまない、という話

先日、私がレスしたこちらのポスト。

今日の記事では、

  • 日本人には身分制度が合っているのではないか
  • 万民平等は日本人には使いこなせないツールなのではないか

というテーマで私見を述べたいと思います。

身分とけじめが大好きな日本人

日本人ならほとんど誰でも知っていることですが、「すべての国民が平等である」ことは日本国憲法において以下のように定められています。

日本国憲法 第14条(法の下の平等)
すべて国民は、法の下に平等であって、 人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

貴族の制度は、これを認めない。

栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない。この栄典の授与は、現にこれを有し、又は将来これを受ける者に限り、その効力を有する。

ですが、実際にはどうでしょうか?

どれだけ社会の体裁だけを変えようとも、どれだけ、

  • 「民主主義」
  • 「法治国家」
  • 「平等社会」

などといった「上っ面だけの化粧」で社会を塗り替えようとも、本質は何ら変わっていない。

日本人は、すぐに身分制度に頼ろうとします。それはたとえば、

  • 生まれた家柄(世襲)
  • 生まれた場所(地縁)
  • 出身大学(学閥)
  • 正社員と非正規雇用
  • ホワイトカラーとブルーカラー

このようなものがあげられるでしょう。

日本人は身分制度が大好きな民族なのです。

  • 「おぉっと!ちょっと待って!あなた、どちら様?どちらのお生まれ?お父様のお仕事は?……あぁ~……ごめんなさい。あなたはこの中には入れません」

というやつですね。

これだけ社会の底が抜けているにもかかわらず多くの人が自民党に投票するのも身分制度によるもの

現在の日本では多くの人が貧困に苦しみ、自己責任論が猛威をふるい、まさに社会の底が抜けた状態にあります。その責任は「失われた30年」をつくりだしてきた政権与党にあります。

にもかかわらず、多くの人がいまだに自民党に投票します。なぜか?

皆、難しいことは「お殿様」に丸投げしたいのです。複雑で難しい「まつりごと」のことなど何も考えずに地元の名士である「お殿様」にすべて任せたい。

お殿様は「我が子にも、そして我が孫、ひ孫にいたるまで、可能ならば未来永劫、地元の名士であり続けてほしい」と願う。

そして民の側も、お殿様の血筋がずっと地元の名士であり続け、崇める対象たりえる存在であり続けることを願う。

こうした支配者・被支配者の双方の思惑が作用し、上っ面だけ「万民平等」の化粧で塗り固めた社会を更にいびつに歪ませます。この思惑は法すら凌駕する影響力を持ち、現代の日本に貴族制や身分制を再現することに成功しているといえます。

根底にあるものは「不安」

ではなぜ、日本人は身分制度に固執し続けるのか?については、これはやはり「不安だから」ということだと私は考えます。以下の記事でも取り上げていますが、日本人は世界中の民族の中でもとりわけ、不安を強く感じやすい民族だという事実があります。

「個人の能力と努力によって、何者にでもなれる社会」というのは、一見すると理想的な誰でも成功を夢見ることができる社会といえますが、現実にはそうした社会は非常に残酷な面も持ちます。

少なくとも日本人には、「農民の子として生まれた人は一生、農民をやる」「地元の名士の子に生まれた人はどんなに無能であろうが人格に問題があろうが、引き続き親と同じように地元の名士をやる」という社会のほうが不安が少ないということでしょう。

私は発達障害ということもあり、人付き合いというやつが苦手です。特に初対面で相手がどんな人かわからない場合はストレスと不安はマックスです。ですがこうしたことは何も発達障害者に限ったことではなく、定型発達者でも同じことではないでしょうか。

気心知れた気のおけないお友達の輪。そこに異質な存在・正体がわからない存在が入り込んでくる

このようなシチュエーションの渦中に置かれることで、日本人にはとりわけ強い不安を感じる人が多いということではないか、と私は思います。ですから皆、人付き合いも限定的にしたいし、仲良しグループの中に異分子が入り込んでくることは望まない。社会的な身分も永続的に固定したい。可能ならば鎖国すらしたいのです。そうすれば不安がなくなるから。

身分制特区

以下は少々の皮肉を込めた提言です。一度、試験的に特区を作り、憲法の効力が及ばないエリアを設け、そこで江戸時代のような完全な身分制度で運用してみたらどうかと思うのです。

その特区ではとうぜん、議会制民主主義は採用しません。まつりごとはすべて地元の名士の血筋によって行われます。名士の子として生まれた者は、個人の能力や人格などは一切問われず自動的にお殿様になる。

漁師の子は個人の能力や本人の希望は一切、考慮されず漁師を一生やる。医師の子はどれだけポンコツでも医師をやることが定められている。そんな世界。

数十年単位でこの特区を運用してみてから、人々の幸福度を測ってみたら、意外な結果が生じるかもしれません。ガワ・体裁だけの「万民平等」よりも「自由はないけど、こっちも悪くないじゃん」と感じる人が予想外に多くなるのではないでしょうか。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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