先日、米国ののドナルド・トランプ新大統領が就任演説で「性別は男性と女性だけ」と述べたことが話題になっています。今回の記事では、このトランプ氏の発言を受けて、LGBTQ+に関する問題について、私が長い間考えてきたことを共有したいと思います。
LGBTQ+とされる人々の中には、自己の性を受け入れられない理由が「個性」や「多様性」として単純化されるべきではなく、むしろ過去に受けた虐待やトラウマが影響している「PTSD1」という概念を適用するべきケースが多く存在すると私は考えています。
今回の記事では、そのような視点から支援の必要性と、兵器としての側面を持つ「イデオロギー」が人々をどのように分断してきたかについて述べていきます。
1.トラウマと性自認
LGBTQ+の人々の中には親などからの性否定の虐待を受けたために自己の性を受け入れられないケースが相当数あると私は思っています。これは個人主義の台頭ないし暴走を背景に世帯間の分断が進み、親の「これが家のやり方だ。他人の家庭のことに口を出すな」という論理が許容されやすい社会になっていることが背景にあります。
こうした背景から、親が子に対して行う虐待もより複雑になり表面化しにくくなっていると感じます。虐待と言えば暴力やネグレクト2が広く知られている虐待のイメージです。
しかしたとえば「本当は男の子が欲しかった」親が、そのエゴから、生物学的には女の子である子どもに男の子の服を着せ男の子のように育てたり、事あるごとに「男の子がよかった」などという、持って生まれた性を否定されるような心無い言葉を浴びせ続けるというのも立派な虐待です。
このような環境で育った子どもが受ける心的ダメージは計り知れないということに注目する必要があります。子どもが生存するために頼れるのは親だけなのだから。
ですが現状では、こうした悲惨な境遇で育った人々に十分な研究や支援策が整っているとは言えないのではないでしょうか。
2.自己の性を受け入れられない人々への支援の枠組み
自己の性を受け入れられない人々に対する支援の実態は、日本の医療制度と密接に関連しています。性自認に関する問題が心理的なトラウマや虐待の結果である場合、支援が必要なのはもちろんですが、現在の日本の医療制度がどれだけそのニーズに対応できているのかははなはだ疑問です。
日本の医療制度における現状
日本では、性自認に関する問題については主に精神科や心理療法の分野で扱われますが、性的指向や性自認が原因で心的外傷を受けた人々に対する専門的な支援が十分ではありません。例えば、性同一性障害(現在は「性別不合」として診断名が変更されつつあります)は医療行為の一環として扱われていますが、性自認に対する社会的な理解が不十分なため、心理的支援が後回しにされがちです。
また、育児期における性的虐待などの不適切な影響を受けた人々に対しては、一般的なトラウマ治療に関する知識は広まりつつあるものの、LGBTQ+特有の課題を扱ったカウンセリングや支援が広まっているとは言い難いのが現状です。医師や心理カウンセラーがその背景にある虐待やトラウマを適切に認識し、治療に結びつけることができていないケースが多くあります。
必要な支援
このような状況を改善するためには、次のような施策が重要と考えます。
- LGBTQ+特化の心理療法を提供する専門機関の設立
- 精神科医師に偏りがちなケアを心理職にも広げていく試み
- トラウマ治療の一環として、性別に関する適切なカウンセリングが行われるようなシステム作り
これにより、虐待やトラウマが原因で自己の性を受け入れられない人々が、適切な支援を受けられるようになる可能性がより現実的になります。
3.イデオロギーが国民を分断してきた具体例
LGBTQ+の人々を取り巻く問題をより複雑にしている背景には、この問題と政治的イデオロギーとの間に密接な繋がりが形成されている側面があることがあげられます。
端的に言えば、私はいかなるイデオロギーも「兵器」の側面を持つと考えています。
たとえばマルクスの革命思想を用いることによって、資本家と労働者という集団同士を分断し、集団として弱体化させることが可能です。
同様にフェミニズムは、男女間の対立を強調することにより、単純計算で50%の人々同士を対立させ分断させることができるわけです。いうまでもなく分断は集団としての脆弱性につながります。私があらゆるイデオロギーは兵器の側面を持つと主張するのはこうした考え方に基づいています。
イデオロギーがいかにして国民を分断してきたのか、具体的な例を挙げて考えてみます。過去の歴史を振り返ると、特定のイデオロギーが政治的・社会的な目的で利用されることによって、個々の人々やグループが分断された事例が数多くあります。
日本におけるイデオロギーの利用
例えば、戦後の日本では戦争責任を巡る議論が政治的なイデオロギーとして利用され、戦後日本の社会を二分しました。極端な右派と左派がそれぞれの立場から戦争責任を解釈し、互いに対立を繰り広げることが、社会の分断を招きました。このような対立は、国民がより具体的な社会問題に集中することを妨げ、長期的な成長や発展を遅らせたといえます。
現代のLGBTQ+問題とイデオロギーの影響
現代におけるLGBTQ+の問題も同様に、社会的・政治的なイデオロギーの争点として扱われることがしばしばあります。特に、LGBTQ+の権利を支持する立場と反対する立場の間で激しい議論が繰り広げられ、それが人々を分断する要因となっています。このようなイデオロギーの対立は、LGBTQ+コミュニティの本当のニーズ—つまり、支援や理解—が二の次にされてしまうことを助長してしまう側面があることは否めません。
たとえば、LGBTQ+の問題が政治的イデオロギーの争点とされることで、今回の記事で取り上げているような、誰にも助けを求めることができず追い詰められている人々がその声を上げることなく、社会的な争いの中で埋もれてしまうことが懸念されます。
性自認や性的指向に関する政治的な議論が、政治的な駆け引きや支持を得るためのツールとして使われ、問題の本質である支援が必要な人々の声が届きにくくなっていると考えます。
おわりに
LGBTQ+の人々の中には、自己の性を受け入れられない背景として虐待やトラウマが影響しているケースが多く存在し、これに対する支援が急務であると考えます。現行の日本の医療制度では、このような問題に対する適切な支援体制がまだ整備されていないため、さらなる調査と支援策の構築が必要です。
また、イデオロギーが国民を分断してきた具体例を踏まえ、LGBTQ+問題を扱う際も、政治的・社会的な対立を超えて、本当に支援を必要とする人々の声に耳を傾けることが重要です。
イデオロギーによる分断を避け、支援が本当に必要な人々を救うためには、社会全体で問題を解決するために協力する姿勢が求められています。