【森永卓郎氏の死去を受けて】愛とビジネスは両立し得ないという話

経済アナリストとして活動してきた森永卓郎氏は、以前からがんで闘病していることを公表されていましたが、今月の28日、原発不明がんのため亡くなったというニュースを目にしました。

がんを患っていること、余命宣告を受けたことを公表されて以降の森永氏の、鬼気迫るとも言える表現活動のすさまじさにはただただ敬服させられます。財務官僚の闇の部分を暴露した「ザイム真理教」という流行語も生み出されました。

森永氏といえば、強烈に私の記憶に残っている言葉があります。それは

ビジネスとは誰かのお金を奪うこと

という言葉です。

今回の記事では、私の考える「愛」の概念と、愛とビジネスは両立し得ないという観点から私見を述べたいと思います。

日本人にとって愛を理解することは難しい

日本人にとって外来概念である「愛」とは理解するのが困難な概念であるとはしばしば論じられることですね。日本生まれの日本育ち、純日本人の私にとってもこれは同じことで、「愛している」とはいったいどんな顔をしてどんな対象に言うべき言葉なのかと問われると、正直なところ答えに窮してしまいます。

ではいったい、なぜ日本人にとってこれほど愛という概念が理解しがたいものであるのかについては、一般的には以下のような指摘が存在するかと思います。

言葉のニュアンスの違い

日本語で「愛」という言葉には、非常に広範な意味が含まれています。例えば、親子の愛、友情、恋愛などです。愛という言葉が状況や当事者間の関係性に応じて異なる側面を持つため、単一の「愛」の概念に収めるのが難しいことがあります。

さらに日本では、「愛」を表現するための言葉(例えば「好き」や「大切に思う」など)が、英語の「love」とは異なるニュアンスで使われることが多いため、誤解が生じやすいという指摘もしばしばなされることですね。

儒教的な価値観

日本の伝統的な価値観は、儒教や仏教の影響を受けており、自己抑制や他者への配慮が強調されます。このため、他者への愛を積極的に言葉や行動で表現することよりも、他者に対する「思いやり」や「尊重」を大切にする傾向があります。愛を言葉で表現することが少なく、行動で示すことが多いため、愛の感情をどう理解し、どう表現すれば良いかが曖昧になりがちです。

感情表現の文化的制約

日本の文化では、感情を心の内に秘めることが美徳とされることが多く、特に愛情を直接的に表現することに対して抵抗感を持つ人が少なくありません。このため、愛を口に出して伝えることが自然ではないと感じることがあり、その結果、愛の概念が抽象的になりやすいとされます。

これらの背景により、日本人にとって「愛」を理解することは、単に感情の問題ではなく、社会的・文化的な文脈を踏まえた複雑な概念として捉えられやすく、直感的に理解することが難しいと言えます。

私の考える「愛」とは、自分を必要としない力を他者に与えること

さて、私が考える愛とは、以下のようなものです。

自分がいなくても生きていける力を他者に与える強さを持っていること

それはつまり、言い換えると

  • 他者が他者自身を尊重し、独立した存在として成長できる環境を整えること

であるといえます。

人は弱いものです。ですので誰でも「あなたがいなくては生きていけない」などと言われると承認欲求が満たされ、良い気持ちになってしまうものです。

しかし私の考える愛とは、そうした依存関係に依拠して自己のエゴを満たすことや、相手から依存されることで自身の承認欲求を満たそうとする弱さを厳しく律して生きる道を選ぶということです。

それは自分が他者から注目を集めたり、関心を持たれたり、持ち上げられたりすることよりも、他者が力強く自身の力で自身の幸福を追求できるだけの力を得ることを共に喜ぶことを優先するということです。

私はこういう心理状態のことを愛と呼ぶのだと思っています。

相手から自分が本当に愛されているかどうかをはかりたいという方は、この考え方に沿って考えてみるのはどうでしょうか。

ビジネスの本質とは、いかに相手を依存させるかである

いっぽう、ビジネスはどうでしょうか。ビジネスの本質とは、基本的に他者に依存させる関係を構築することにより成り立つと言っても過言ではありません。

自社の商品がいかに個人の人生において欠かせないものであるかを教育し、「そもそもそれが本当に必要なのか?」と考える余地を与えず、自社に依存し続けさせることです。

それは教育や医療などの分野においても同様で、それがビジネスであるならば、自身に依存させることで成り立つ構造から逃れることはできません。

教育ビジネスであれば、生徒が先生よりも多くの知識やノウハウを短期間で身につけて先生に成り代わってしまえるようでは教育ビジネスは成立しません。ですのでそのカリキュラムは顧客への知識の伝達と顧客の成長を促すという側面以外に、参入障壁であらねばならないという側面を持ちます。

医療も同様で、一度の治療で完治させてしまえば健康保険の点数の観点から病院経営が成り立たなくなるため、数回に分けて治療行為を行うなどの行為は特に珍しいことではありません。

ビジネスは、サブスクリプション、限定商品、トレンドの人為的作成と流布、市場の独占、そうしたありとあらゆる手段であなたを依存させようとします。ビジネスはあなたに「あなたなしでは生きられない」と言わせます。それを我々は「永続的なビジネスモデル」などと称賛します。

こうしてみると、愛とビジネスは根本的に両立しがたいものであるということが見えてくるのです。

おわりに

森永卓郎氏の御冥福を心からお祈りいたします。ビジネスが持つ本質について、私の目を開かせてくださったことに心から感謝したいと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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