人間の歴史は抑圧とルサンチマンと殺し合いと極端化のくりかえし

私は、現代の社会は以下が過剰だと思っています。

  • 新自由主義
  • 市場主義
  • 競争の奨励
  • グローバリズム

このような流れを全否定するわけではありません。新自由主義にもグローバリズムにも、それぞれ素晴らしい点もあります。こうして私が書いた文章を世界中の人に届けることができる可能性をもたらしたインターネット。これももちろんグローバリズムの恩恵といえます。

市場主義もそうです。現代の社会は、市場主義が過剰になることで甚だしい不幸と機械の損失が生まれていると私は思っていますが、適度であれば「さまざまな問題をお金で解決できる」ことは便利で素晴らしいことです。

ですので、要は「ほどよいバランス」を保つことが大事であると考えます。

ですが、人間は極めて不完全な生き物です。

「ほどよいバランス」を保つことができない。

人類の歴史は、抑圧する側とされる側が入れ代わり立ち代わる歴史といえます。抑圧された側はルサンチマンをつのらせ過激な改革に走り、権力や既得権益を握る抑圧側は、まさに死に物狂いでそれを潰そうとする。

そうした対立構造により、双方、手加減なしの全力の殺し合いをせざるをえなくなる。「ほどよいバランス」など考慮していては負ける。負ければすべてを失う。すべてとは財産や地位(ポジション)であったり、ときには命であったりする。

どちらが勝とうとも、結果として程よいバランスが保たれた中道は実現せず、双方のどちらかにふりきった極端な世界ができあがる。革新側が勝てば、それまで抑圧していた側が今度は抑圧される側に回る。

1980年代以降、日本でも猛威を振るってきた新自由主義やグローバリズムにしたところで、その前の時代ではいわゆる「護送船団方式」や「ムダで無計画極まりない公共投資とそれに群がる利権者たち」の支配がありました。その体制が抑圧してきた人々が抱いたルサンチマンが、新自由主義やグローバリズムを推進する大きな原動力になった面があります。

人間はなぜ、こうも不完全なのでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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