略歴

社不のきつねの略歴です。

1970年代生まれ

日本の西側の生まれです。

毒親育ち

主に母親からの虐待。母親は典型的なBPD1。父親は私の素人診断ですが重度のASD2。父親は統合失調症と診断されて、その事実を一生、家族に隠しつつ3精神科に通院していたことが彼の死後になって判明しました。私はその診断は誤診だと思っています。

小学校時代 ~ 同級生や教師から壮絶ないじめにあう

発達障害ゆえですね。

小学6年からグレ始める

教師を殴って鼻を骨折させたり、窃盗なども。

筋トレに目覚め更生

高校を中退し定時制高校に入学

働きながら定時制高校に通いました。4年で卒業しました。

俳優を夢見て上京

多種多様な底辺職の現場を経験

どこに行っても、嫌われ、殴られ蹴られの日々でしたね。「殴られ」とはメタファー的な表現ではなく、当時はまだいわゆる「底辺労働」の職場での暴力は普通にありましたね。発達障害ゆえですね。とにかく何をやっても長続きしませんでした。

貧困に打ち負かされIT系サラリーマンに

独立開業しフリーランスから人売り企業経営者に

IT業界(受託開発業界)の悪名高い、いわゆる「中抜き」「人売り」「多重下請け構造」の一味になったわけです。年収は最高で1千万円ほど。年収はサラリーマン時代の何倍にも増えました。所得は上がれど私はお金を使わないのでどんどん貯金が増えていくだけでした。

社会に絶望する

IT業界の腐敗しきった業界構造と正規雇用・非正規雇用の階級化が生み出す地獄絵図を目の当たりにし、日本社会に絶望。ネトウヨ的な思想にかぶれたこともありました。

日本脱出を図る

英語を猛勉強しましたね。TOEICスコアは2年で「300以下→700まで上がりました」。高卒では海外で就労ビザを取ることが困難であることを、このころ知りました。

36歳で事業を畳み国立大学入学

某国立大学の経営学部に入学。英語の勉強のおかげ。日本脱出のために大卒資格が欲しかったのもあるし、経営学にも興味がありました。

精神疾患が悪化して大学を中退

結局、大学には3年通いました。経営学よりも哲学や心理学などの教養科目が好きでしたね。当初は休学を重ねていたのですが、復帰の見込みはないと判断して退学しました。

生活保護で10年を生き延びる

49歳で発達障害の診断を受ける

ADHD強めでASD特性もある発達障害との診断。

  1. BPD(ボーダーラインパーソナリティ障害)は、パーソナリティー障害の一種。 ↩︎
  2. 自閉スペクトラム症(Autism Spectrum Disorder: ASD)の略 ↩︎
  3. 精神科医や臨床心理士によれば統合失調症なら家族に隠すことは不可能だろうとのこと。誤診だと私が思っている根拠。 ↩︎