非毒親育ちと毒親育ちは白人と黒人くらい違う

私が常に気にかけているテーマ、それは日本社会における、「毒親1」という言葉の用いられかたに起因する、

非毒親育ち」と「毒親育ち」との関係です。

今回の記事では、「毒親育ち」である私が、非毒親育ちと毒親育ちはあたかも「白人と黒人」くらい異質な、異なった存在なのだ、という観点から私見を述べたいと思います。

毒親育ちと非毒親育ちは白人と黒人くらい違う

毒親育ちと非毒親育ちは、その歩んできた人生と、その結果として獲得した人生観において、全く異なる異質な存在といえます。

例えば、毒親育ちは自己肯定感の低さや人間関係における不安を抱えがちですが、いっぽう非毒親育ちは自己肯定感が高く、親との関係に安心感を感じることが多い。これらの違いが個人における対人関係や社会での立ち位置に大きな影響を与えるであろうことは、改めて説明する必要はないでしょう。

毒親育ちと非毒親育ちが全く異なる異質な存在同士であるということをわかりやすく例えるなら、それは人種の違い、黒人と白人くらい異なる存在といえます。白人と黒人では生物学的な特徴の違いのみならず、その歩んできた歴史にも大きな違いがあります。

私は、日本社会における毒親育ちと非毒親育ちの関係を理解するためのフレームワークの基本的な方向性として、白人と黒人くらい両者は異なるものだ、という視座を用いることを提案したいと思います。

毒親育ちと非毒親育ちが「親論」において合意するのは無理

非毒親育ちは、自分の親を肯定的に捉えているし、自身のアイデンティもまた、そんな肯定的な親像の影響を多分に受けたものであることが多いでしょう。

したがって非毒親育ちは、日本社会における通俗的な道徳の代表ともいえる「生まれてきたことを親に感謝しよう」といったスローガンにも素直に呼応し、時に自分を奮い立たせるための力の源としたり、打ちのめされるような出来事にあってしまった際には自分を再起させるための杖として用いることもごく自然に行っています。

この「親を敬おう」という道徳は、日本社会においては最強の道徳といえ、倫理面でも論理面でも絶対的な正しさを持つものと多くの人に考えられています。この道徳を否定したり否定するような生き方をした個人は、通常、世論による強い批判にさらされることになります。

いっぽうの毒親育ちにとっては、このようなスローガンはとうてい、受け入れられるものではありません。幼い頃から、親から虐待や存在自体の否定を受け続けた人なのですから当然ですね。

非毒親育ちと毒親育ちの対立

さてここで、日本社会においては非毒親育ちと毒親育ちとの間に「親論」を巡る対立の構造が生じます。非毒親育ちは親を肯定したいと考え、良き親像をアイデンティティにして育っていますから、それを否定されることはすなわち親だけでなく自身のアイデンティティの危機になるからです。

アイデンティティの危機とは、「人間は常に成長するものだ。間違いがあれば認めて改め、常に成長していこう」などといった軽々しいポエムで解決できるような単純な問題ではありません。人はそれほど強い存在ではありません。

アイデンティティの危機とは、いまを生きている自身の崩壊であり、過去の自分の崩壊であり、未来の自分の崩壊でもあるのです。

ですので、日本社会においては「親を敬わないことを主張する人がいる」ことは大多数の人の不安を煽るのです。アイデンティティを揺るがされるから、そんな意見は否定したいし、そんな意見は目にしたくないと考えるのです。だから必死になってそうした主張をする人をたしなめたり、説教したり、あわよくば矯正を行おうとします。

人はアイデンティティの危機に際しては、相手を攻撃することでそれを守ろうとするものです。そして「親を大切にしようなんて思えるわけない」などと主張する毒親育ちを猛烈に攻撃する、という残念な展開となります。

非毒親育ちと毒親育ちが共存していくためには

結論としては、白人と黒人くらい異なった異質な存在である非毒親育ちと毒親育ちが「親論」において相容れるのは無理だということです。白人が黒人に対して白人の文化を「良きものだから受け取れ」として押し付けることは間違っているし、逆もまた然りです。

おわりに

非毒親育ちと毒親育ちがこの日本の社会において共存していくためには、互いの違いを認め、合意できる点は合意し、合意できない点においては互いの意見を押し付けることはやめることです。

「同じ日本人なのだからどんなことでもわかりあえるはずだ」という幻想から離れ、完全に異質な存在であることを直視することから、非毒親育ちと毒親育ちという異質な存在が争うことなく共存していける社会が実現される第一歩かと思います。

最後までお読み頂きありがとうございました。

  1. 子どもに対して過度に支配的、批判的、または虐待的な親を指す言葉。「毒親」という表現は、子どもが親から受ける精神的・感情的なダメージが、まるで「毒」に似ていることによる。「毒親」という言葉の起源は、アメリカの心理学者スーザン・フォワードの書籍「毒になる親」(1990年)。本書籍では、毒親の特徴やその影響について詳述し、親との関係を癒すための方法を提案している。 ↩︎
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