「働きたくない」とFIREとの違いは?

先日、Xで目にしたこのポスト。私がかねてから抱えてきた思いを見事に言語化されていたので紹介します。

現代の日本では、

  • 「奴隷になりたくない」
  • 「自由でいたい」

などと、人間として当たり前の望みについて叫ぶと、狂人として扱われる狂った社会になっているのが実情です。今回の記事では「働きたくない」と表明することと、FIRE1について比較したうえで私見を述べたいと思います。

「働きたくない自由」は日本にはない

現在の日本には「働かない自由」はありません。もし個人が「働きたくない」と表明したら、そしてその個人が不労所得を生み出す資本を所有していなかったとしたら。その2つの条件が満たされたとき、その個人は日本の社会から多種多様な手段による弾圧・迫害を受けることになります。

「不労所得を生み出す資本」について少し丁寧に説明すると、近年流行している「FIRE」の例がわかりやすいでしょう。株式、FX(外国為替証拠金取引)、国債などの金融資産を確保し、それらが生み出す利息収入などから得られる所得を確保してから労働から完全に、あるいは限定的に引退を図る人々が存在します。

私は個人的に「FIREしました」という生き方をカッコいいとか美しい生き方であるとは思いません。しかしこうした人々が現れる背景は痛いほど理解できます。それは現在の日本においては、大多数の人にとって労働が耐え難い苦役・地獄となっているからです。

ですので、そんな地獄からは早く抜け出したいと考え、計画的に行動し「FIREしました」となるのは、狂った社会をサバイバルすべく最適化した結果の選択肢の一つであるといえるでしょう。

FIREと「働きたくない」の違いとは

FIREにも様々な形態があるようで、「FIREした」と言っているすべての人が、節約と節制を是として生活費や課税額を極限まで圧縮して質素な余生を送る、というわけではありません。しかし以下のような推測を試みることで、FIREを望む人のバックグラウンドにおける多数派の実態がどのようなものかが見えてくる気もします。

  • 「労働が苦役・苦痛である」と感じて労働からの退避を目指す人はおそらく「学歴エリート」「所得エリート」などのいわゆる「勝ち組」ではない
  • したがって親の代からの資産家ではない可能性が高い
  • したがって「資本が生み出す不労所得で大きく稼ぎ、大量に消費し、多額を納税する」タイプのFIREライフスタイルを可能にするほどの金融資産を形成できる可能性は低い

この推測により、私は、FIREを目指す人の大多数は比較的、少額の資産を運用して質素な余生を送ることを企図した人が多数派であると考えます。

その前提にたって考えると、労働をせず、消費も最小限に抑え、なおかつ入念な節税対策を行い課税額も最低限まで抑えた生活を数十年にわたって送る。

このような生き方は、労働市場にも、消費市場にも、納税にも貢献していないということになります。細かいことを言えばもちろん証券会社などに手数料を支払うことで市場には貢献しているとはいえます。

しかしこれって「単に働きたくないと言っている人」と何が違うのでしょうか?

違いはただ「資本を保有しているかどうか」だけです。

その人は、その資本を保有するために努力や苦労をしたはずだ。何の努力も苦労もせず『働きたくない』などと甘ったれている奴といっしょにするな

と感じた方もおられるかもしれません。

説明のために他の例をあげます。

たとえば、親が所有していたアパートを相続して家賃収入を得て暮らし、社会と何の関わりも持たず家に引きこもっている人がいるとします。この人もFIREした人々と同様、労働市場に加わらず、消費も最小限まで圧縮し、節税対策を入念に行い法で許される最大限まで課税額を圧縮しています。なんら生産的・創造的な活動を行うこともなく、毎日スマホのソーシャルゲームをする日々を送っています。

これって「単に働きたくないと言っている人」と、何が違うのでしょうか?

不動産を購入するためにどの程度の努力や苦労を重ねたかはさておくとして、重要な点は、対価を払って不動産を購入したのはこの人の親だということです。この人の努力や苦労の結果として手に入れた資本ではありません。この人は「アパートを保有する親のもとに生まれた」という境遇を「うんのよさ」によって手に入れただけの人だといえます。

だから何だ?その人は親からアパートを相続するにあたって相続税を収めるという責任を果たしたはずだ。責められる理由はない!

そのとおりです。誰も責めてはいません。ただ事実を提示しているだけです。

このように、「資本を保有していない分際で」「働きたくない」と自由を望む「不届きな」人々と、資本を保有して労働を拒否する「プチ資本家」の境界は非常にあいまいなものであるといえるでしょう。

にも関わらず日本では、FIREした人や「うんのよさ」によってのみ資本を手にしたプチ資本家が「働かない怠け者」などといった批判や弾圧を受けることは基本的にありません。むしろFIREの場合は「うまくやった人」として賛美する傾向すらあります。

すべての人に「働かない」自由を

私は「あいつらに回すカネを減らしてこっちに回せ!」という主張を正しいとは思いません。その理由は、抑圧される人々が切り替わるだけで問題の本質は改善されないからです。抑圧や報復はさらなる抑圧や報復の引き金となるだけです。

それに、私は、しばしば話題にのぼる「資産課税」にも反対の立場です。

なぜならこうした思想の奥底には、

  • 「みんなで不幸になろう」
  • 「抜け駆けして楽しそうにしてるやつを許すな!」

といった、「楽をしてるヤツを引きずり下ろしてみんな等しく苦しもう」という思想が潜んでいるからです。この考え方は現在の日本人を著しく不幸にしている間違った考え方です。

ですので、この記事の目的は「FIREした奴らや、親の資産を相続しただけの奴らを叩け!」と扇動することではありません。

私はすべての人に無条件で生活に足るお金を支給する「ベーシックインカム」の導入を支持しています。働きたい人だけが働けばいいし、働きたくない人は働かなくてもいい。誰がいくらの資本を持っているかにかかわらず、生きるためのお金は保証される。

そのような社会を実現することが私の原動力です。

最後までお読み頂きありがとうございました。

  1. 「Financial Independence, Retire Early」の略語。資産運用によって生活費をある程度確保できる仕組みを作ったのち、早期に労働からリタイア(引退)するライフスタイルのこと。 ↩︎
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