奴隷のくせに支配者目線でエゴを押し付ける人だらけの不思議の国ニッポン

現代の日本人を不幸にしている最たるものの一つ、それは、

「一介の労働者という奴隷の立場のくせに、経営者などの支配者目線でエゴを押し付ける風潮」

だと私は思っています。

具体的に例を上げると、

  • 「仕事があるだけありがたい」
  • 「仕事に不平不満を言うな!そんなヒマがあったら働け!」
  • 「職業に貴賎はない」
  • 「社長は私達のために日々、身を粉にして奮闘してくれている」

こうした考え方は、真にすべての従業員が快適に働くことができる環境で働いている人が「腹の中に秘めておき自己を奮い立たせたりするエネルギー源とする」ぶんには、ほとんど問題ないのです。「美徳」といってもいいかもしれません。

しかし、こうした「美徳」が、非常に劣悪な労働環境での労働を強いられている人々だったり、搾取的な労働を強いられている人たちによって「他者への押し付け」として使われると悲劇的です。これはまさに日本で起こっていることです。

これはブラック企業をのさばらせ、その結果として、まっとうにマネージメントをして良好な労働環境をつくろうとしたり、まっとうに従業員への分配をしようという志を持つ企業を結果的につぶしてしまうという側面もあります。

今回の記事では、どのような背景から日本ではこのような悲劇的な風潮が長きにわたって支配的であり続けているのかについて、私見を述べたいと思います。

1.学校教育とメディアの影響

日本の学校教育では集団主義や規律が重視され、「みんなのために自分を犠牲にする」ことが奨励されてきました。そしてそこからはみ出したものには容赦ない排除が行われてきました。

また、メディアや経営者層から発信される「自己責任論」や「勤勉が成功の鍵」といったメッセージが、労働者側の自己認識にも多大な影響を与えてきたと思います。

学校教育とメディアの見直しなくしては、この記事で取り上げている問題はなくならないでしょう。

2.「我慢は美徳」という文化

日本には、「我慢」や「忍耐」が美徳とされる文化が根強くあります。特に、労働においては「苦労することが報われる」「努力は報いられる」という考え方が根強く、厳しい環境でも「自己責任」と捉えやすい傾向が強いです。

このため、たとえ劣悪な労働環境におかれている場合であっても、労働環境への不満を表明することが「甘え」と見なされることも多々あります。

自身に我慢を強い、それをもって「自己を鍛える」とするなら、それはそれで自己完結していますから、一人でやっている分にはたいして問題はないのです。しかしこれもまた「他者への押し付け」に簡単に変化しがちです。そうした観点からは「我慢は美徳」は多分に危険性をはらんだ美徳であることを現代の日本人は認識して用いたほうがよいかと思います。

3. 労働運動の歴史的な停滞

日本では戦後の一時期、労働運動が活発化しましたが、1950年代の「レッドパージ」や、経済成長期の労使協調路線の台頭により、労働運動は衰退しました。その結果、デモやストライキなどの行動は「過激派」や「迷惑行為」として社会的にネガティブに捉えられるようになり、一般労働者が声を上げにくい風潮が形成されました。

どれだけ不満を抱えようとも、日本人はデモやストライキを起こさない理由は、そうした活動を行う人を「和を乱す人」とネガティブに捉える人が多数派であるという点にあると思います。

社会的孤立感と連帯意識の希薄さ

欧米に比べ、日本では個々の労働者が連帯する意識が希薄です。その背景には、地縁や血縁に基づく共同体(コミュニティ)が希薄化、あるいは崩壊したことや、労働組合の弱体化があげられるでしょう。こうした背景から、日本人には他者と共に立ち上がることに対する抵抗感が強く、自分自身を「経営者の目線」で律する(縛る)ことで納得しようとする心理が働くのではないでしょうか。

4.封建制度と儒教からの影響

日本は長い間、封建制度に基づく社会構造が続いていました。この制度では、上下関係が明確であり、個々の役割や立場(身分)を受け入れることが美徳とされてきました。この文化は、明治維新後の近代化に伴い労働環境においても存続し、労働者が上司や経営者に従順であることを求められる土壌を作られてきました。

私が思う日本人の最大の弱点は、

「『目上の人』ポジションに一度おさまった人を批判できなくなる」

ことです。

  • 要職についた経験のある政治家
  • 企業経営者

こうした人々は無条件で「目上の人」として捉えられがちで、それはつまり日本においては「どんな横暴を働こうが批判することは許されない」アンタッチャブルなポジションの人だということです。

どれだけ論理的な批判であろうが、どれだけ正しい指摘であろうが、「目上の人に意見した・逆らった」という「和を乱した」その行為が日本人の心を刺激し、逆に指摘した人や内部告発者を叩く風潮へと変わる。恐ろしく、そして悲しいことです。

だから日本人の多くが必死で「目上の人」ポジションを目指します。

ストックホルム症候群

ここまで、なぜ劣悪で困窮した状況におかれながらも支配者側の論理を弄する人が日本人には多いのか、について考察を試みてきましたが、これらをまるっと包括する概念として「ストックホルム症候群」をあげたいと思います。つまり大多数の日本人はストックホルム症候群にかかった状態であるということです。

ストックホルム症候群は、被害者が誘拐や監禁などの極限状況下で加害者に対して好意や同情を抱き、場合によっては加害者と協力するようになる心理的な状態を指します。これは、生存本能や恐怖に対処するための心理的な適応メカニズムとされています。

ストックホルム症候群という名称は、1973年にスウェーデン・ストックホルムで発生した銀行強盗事件に由来します。この事件では、強盗犯が人質を6日間にわたって監禁しましたが、人質たちは解放後、犯人に対して好意的な感情を抱き、さらには警察や司法に対して否定的な態度を示すようになりました。

ストックホルム症候群が生まれる背景となった事件の詳細

  1. ストックホルムのノルマルム広場の銀行で銀行強盗事件が発生
  2. 強盗犯は銀行職員を人質に取り、監禁状態での交渉が続いた
  3. 監禁中、人質たちは犯人の優しさ保護的な行動を感じ取り、解放後も犯人を擁護する発言をした

ストックホルム症候群の心理学的な分析

心理的防衛反応
被害者が極度のストレスや恐怖にさらされた際に、自身の生存を確保するため、加害者に適応する心理が働きます。その結果、被害者は環境の理不尽さよりも、加害者との関係性を維持しようとする傾向が強くなります。

認知の変容
被害者は、状況の過酷さや理不尽さを認識し続けることが精神的に耐え難いため、自分の環境を肯定的に再解釈することで心理的負荷を軽減しようとします。

加害者との同一化

加害者からの脅威が和らぐ瞬間や、親切に見える行動をされた際、それを過剰にポジティブに受け取ることで、加害者への同調が進む可能性があります。この結果、

  • そもそもなんで、私が監禁されて自由を奪われなきゃいけないの?
  • そもそもこの環境自体が理不尽じゃねえか

と、ただしく自身が置かれた環境の理不尽さを認識することが難しくなるのです。

これはまさに日本の労働者の多くがおちっている状況ではないでしょうか。

まとめ

これらの要因が複合的に絡み合い、日本の労働者が労働環境に対して不満を抱きつつも、声を上げにくい風潮を生み出していると考えます。これには歴史的背景や文化的要素が深く根付いているため、これを変えていくには、教育や労働運動、社会的な価値観の再構築が必要とされるでしょう。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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