明けましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
さて、
私は昔から「お祭り騒ぎ」が苦手です。
- サッカーのワールドカップ
- ワールドベースボールカップ
- オリンピック
などなど。苦手なのは別にスポーツ関連イベントとは限らず、たとえば
「今この作品がアツい!」(映画、漫画、ゲーム等)
こういうのも、どんなにその作品が自分の好みや関心にフィットするものであったとしても、少なくとも流行っているうちには手を出しません。
すべての発達障害者が「お祭り騒ぎに加わって楽しむ」「流行に乗る」などを避ける傾向にあるとは思いませんが、少なくとも私はこのようにして半世紀近くを生きてきました。
発達障害者が進化の過程で淘汰されなかったのはなぜか?
「なぜ、発達障害が進化の過程で淘汰されなかったのか?」
これはよく論じられるテーマだと思います。
私は、人類が絶滅を避けるための仕組みであったと思っています。
絶滅を避けるため
同じ特性を持つ個体ばかりだと、特定の環境の変化に対応できなくなり、最悪の場合、全滅のリスクがあります。一方で、多様な特性を持つ個体が存在することで、集団としての生存確率が高まります。
たとえば狩猟採集社会では、共同体の中の人々が多様な役割を持っていたことが確認されています。
狩猟採集社会では、過敏な感覚や注意力の高さを持つ人々が、周囲の危険を察知したり、新しい食料源を発見したりする役割を果たした可能性があります。この特性は、他の人々が見逃すような細かな変化を検出する能力として機能していたと考えられています。
集団内での補完的な役割
発達障害者が持つ特性が、集団内の他のメンバーの弱点を補完することで、全体としての効率性や適応力が向上したという意見もありますね。これは大昔に限ったことではなく、現代でも同じことで、チームに多様なバックグラウンドや特性を持つメンバーがいることで、創造性や問題解決能力が高まることが示されています。
発達障害の特性を持つ人々が得意とする領域(例:パターン認識、集中力、革新性)は、他のメンバーのスキルと組み合わさることで、特に優れた成果をもたらすことができるという考えも存在します。
おわりに
発達障害を持つあなたへ
孤独を感じることもあるだろう
辛いことも多々あるだろう
それでもあなたの存在には意味がある
最後までお読み頂きありがとうございました。