特に若いみなさんへの提言です。
「あなたが持っている才能」と「親が太いこと」って関係ありますか?ないんですよ。
私は30年以上にわたって、この問題を考えてきました。今回の記事では全ての人に「働かない自由」をもたらすベーシックインカムとからめて、このことについて私見を述べたいと思います。
私の原点(なぜベーシックインカムなのか?)
私の場合は、若い頃に俳優を目指したことが、ベーシックインカムについて考えるきっかけとなりました。親が太い人たちは習い事など自己投資にお金をかけられるが、そうでない人は生きるためのブラックバイトで心身をすり減らし、才能は殺されていく。20歳そこそこの若者だった私はそうした社会の実情を目の当たりにしたわけです。
この不公平でおかしなシステムがもたらす損失は、社会全体にとって計り知れないものです。
こんな社会はおかしい、と思ったんですよね。繰り返しになりますが、「何かをするための才能」と「親が太いこと」ってまったく関係ないんですよ。
「いや、バイトをしながら苦労した下積み時代を経験することによって、仕事人として成長するということもあるのではないか」
このような感想をお持ちの方もおられるかもしれません。
しかしこれは、一見まともな意見ですが、詭弁に過ぎません。
以下のように、逆の見方から考えてみれば、この考えが正しくないことがわかります。
- 親の威光を利用して映画を撮る映画監督の作品はすべてクソか?
- すべての二世俳優は演技がヘタクソか?
- 親が売れっ子歌手の歌い手はみな歌がヘタか?
- 若くして下積みを経験せずに売れたお笑い芸人はみなつまらないか?
- 世襲政治家はみな等しく腐敗しているか?
決してこのようなことはない。言うまでもないことです。いわゆる「二世〇〇」や「親の七光り」という恵まれた境遇に生まれて、その優位性を活かして成功した人の中にも、素晴らしい仕事をする人はいます。
ですので、親の力を利用して、特定の業種で「苦労をすっ飛ばしてショートカット(近道)」をした人があまねく低能力であるなどということは、現実にはありえません。
一部に例外はあるでしょうが、ある個人がどれだけ苦労したか、言い換えればどれだけ不幸を経験してきたか、ということと、仕事人としての能力獲得にそれがプラスに働くかどうかということは、根拠のないファンタジーに過ぎません。
私たちは「親の力でラクラクと成功した人」よりも「苦労の末に成功を掴んだ人」を応援したいのです。楽をして成功した人にはなんとなく賛同したくない。それだけのことなのです。
ですので、苦労、とりわけ金銭的な苦労や、生活面での困難を、それらが必ずポジティブな結果をもたらすものとして受け入れよと言う考え方は、間違っています。
そうした考え方は、やりたいことがあって、自分らしく生きようとする人の弱みにつけこみ、人間としての尊厳を失わせる低賃金労働へと追いやる詭弁でしかないのです。
ベーシックインカム(BI)は、全ての人がやりたいことをして生きていくことを可能にします。
おわりに
もちろん、BIだけでは「親が太い人」と対等にはなりません。しかし最低限の生活が保証されることで、今の極めて不公平な社会に比べれば、遥かに公平なものとなるはずです。
最期までお読み頂きありがとうございました。