みなさんが貧しいのは「小さな政府」のせいです

日本の貧困は、どんどん深刻さを深めています。

例えば、日本の子どもの貧困率は依然として高い水準にあります。2021年のデータによれば、17歳以下の子どもの相対的貧困率は11.5%であり、ひとり親家庭の貧困率は44.5%に達しています。

他にも、生活保護受給者数の増加傾向にあり、高齢者世帯の貧困、とりわけ女性高齢者世帯の貧困も深刻です。

このように、私達が極めて貧しく苦しい状況にあるのは、なぜなのでしょうか?

その原因の多くが「小さな政府」「官から民へ」を主導してきた政策にあります。

今回の記事では、「小さな政府」「官から民へ」というスローガンのもとに行われてきた政治が、どのように私たちの貧困に影響してきたのか私見を述べたいと思います。

「小さな政府」の正体はお金が政府からエリートのポケットに移動すること

「小さな政府」を日本で主導してきた人たちの動機は「エリートが桁外れの報酬を得られない社会はおかしい」から始まっています。彼らは超格差社会アメリカのあり方を見て「これは素晴らしい」と考えたわけです。

政府がすべき仕事をすべて政府がやる社会では、どれだけ政府に貢献しても、それは公金だから、エリートたちが高額な所得を得ることは難しい。

しかし「小さな政府」は政府がやるべき仕事を「官から民へ」のスローガンのもとに民営化し、民間企業をどんどん太らせる。そしてエリートたちはその貢献と実績を認められ、たらふく食べでっぷり太った企業のポストや株式を得て莫大な報酬を実現する。

私たちの暮らしに必要な道路や橋を直すなど、社会のために必要なお金がすべて政府からエリートたちのポケットに移動する。

これが「小さな政府」「官から民へ」の正体です。

「小さな政府」がつくりだした格差と社会不安

こうした背景から「小さな政府」を推進する人々の本音は、結局のところ「自分たちがどれだけ儲けられるか」にある場合が多いのです。表向きは「官の非効率をなくし、市場の自由競争で最適化を図る」と言いますが、実態としては「儲かる領域を民間に開放し、利権を独占する仕組みを作る」ことが目的になっているといえます。

特に日本では、「官から民へ」の流れが強まった90年代以降、郵政民営化社会インフラの外部委託が進みましたが、結局のところ、その多くは官僚の新たな天下り先を生み、特定の大企業やエリート層が私たちの富を吸い上げる構造を強化する結果となりました。

国民にとってのメリットはほぼなく、むしろ公共サービスの質は低下し、料金は上がり不安定な雇用が増えたのです。

一方で、米国型の「エリートが桁外れの報酬を得る社会」を目指しても、日本の経済規模や文化的背景が米国と異なることにより、単なる格差の拡大と社会不安の増大につながるだけだったのです。にもかかわらず、政策決定層の人々はそれを理想の社会として推し進めてきたのです。

本来、政府の役割は、国民の幸福のためにあるはずですが、「小さな政府」の論理ではそれが逆転し、「エリートが報酬を最大化するために政府を縮小する」という目的にすり替わる。これが「小さな政府」の「末路」といえます。

エリートが高額な報酬を得ることの是非

私は、エリートが高額な報酬を得ることを頭ごなしに否定する立場ではありません。私は個人的には、「いくらお金を稼いでいるか」「どれだけ資産を持っているか」というのは相対的評価であり、相対的評価では決して幸福は得られないという立場です。

ですがこれはあくまでも私個人の価値観であり、他人に押し付けることはできません。沢山稼いで沢山消費する、それが幸福というものだ、という人はそういう生き方をすればいい。

なお日本においては「皆が平等であるべきだ」という価値観が支配的ですが、それがもし、もはや私たち皆が幸福を追求するには時代遅れの価値観だというなら、変えてもよいのではないかというのが私の考えです。

ただしそれには「多くの人の幸福実現に貢献したエリート」という絶対的条件を設けたいと思います。

ひるがえって日本ではどうでしょうか?現在エリートとされる人々の大半がいわゆる「学歴エリート」「偏差値エリート」であり、いわば遺伝的に記憶力に恵まれ、試験に最適化しただけの人々です。彼ら彼女らは私たちの幸福実現にどれだけ貢献したといえるでしょうか?

「小さな政府」の肯定的な側面

もちろん、「小さな政府」には悪しき側面だけでなく、評価できる側面も存在します。

特に日本で見過ごすことができない要素として、「小さな政府」が支配的になる前の時代において、社会民主主義を悪用し、行政機構の私物化や公共投資の乱用により私腹を肥やす人々が存在していました。これにより政府は不必要に膨張し官僚機構の肥大化が進みました。

「小さな政府」は、そうした不正やムダへの怒りを抱えた人々によって、「大きな政府」が間違った使われ方をしたことへの反省として推進されてきた面も大きいという事実は、私たちが目を背けてはいけないことです。現在の日本において私たちを苦しめている「小さな政府」路線を全力で否定して、政府がやるべき仕事は政府がやるべきと主張したいですが、過去と同じ過ちを繰り返すわけにはいきません。

しかし、「小さな政府」が主導される過程で民営化や規制緩和が進むとともに、本来は政府が担うべき仕事を民間企業が引き受ける場面が増え、企業の利益優先が社会的な不平等格差を生む結果にもつながったのです。

「小さな政府」路線の限界と同じ過ちを繰り返さないために

「小さな政府」路線を否定し、政府がやるべき仕事は政府がやるべきだという社会を実現するに当たり、過去の失敗を繰り返さないための方針が不可欠です。具体的には、以下の方針が挙げられます。

政府の効率化と透明性の確保

政府がやるべき仕事を担う際、無駄や腐敗を排除するための厳格な監視と透明性が必要です。過去にあったような行政の私物化や利権の温床化を防ぐためには、システムやプロセスの見直し、公共事業の透明化が引き続き求められます。

民間と政府の役割分担の再考

「小さな政府」による民営化は、しばしば企業が自己利益を優先し、公共の利益が損なわれる場合があります。政府がやるべき仕事の範囲を再定義し、民間が担うべき仕事と公共の利益を守るべき仕事をしっかりと分けることが重要です。

市民の福祉と平等の確保

行政の効率化が進んでも、社会の中で格差や貧困が広がることがないよう、福祉政策や教育、医療などの基本的なサービスを守り、全ての市民に平等な機会を提供することが求められます。

長期的な視点での社会投資

過去には公共事業が短期的な利権に結びつくことが多かったですが、今後は社会全体の持続可能な発展を目指した投資が必要です。教育、文化、社会保障などの分野への長期的な投資が、より公平な社会を実現する鍵となるでしょう。かつて「コンクリートから人へ」というスローガンを掲げた、今は凋落してしまった政党がありましたが、今は「鉄から文化へ」のスローガンが必要ではないでしょうか。

おわりに

「小さな政府」による過度な民営化や規制緩和が引き起こした弊害を乗り越え、公共の利益を守りつつ、効率的で公正な政府運営を実現することは、現代の日本において極めて重要な課題です。過去の過ちを繰り返さないためにも、政府の責任と民間の役割を適切に分け、社会全体の福祉と平等を確保するための慎重で理性的なアプローチが必要です。

さしあたって選挙では「小さな政府」「官から民へ」を標榜する政治家を決して当選させてはいけません。

政府(行政)がやるべき仕事は、政府がやるしかないのです。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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